一人称単数 -著:村上 春樹- ネタバレ感想2

2021/11/22

カテゴリー:小説

孤独な女の人

概要

このページでは一人称単数の「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」の2つのお話のネタバレ感想をしています!

前回のお話「石のまくらに」「クリーム」をまだ見てないよーという方はそちらを読んでからこちらに戻っていただくことをオススメします!

「石のまくらに」「クリーム」へ

短編集なので、こちらの2つのお話読んでからでも話が分からなくなるということはないです!

どちらも実際に存在する人物に関連する話となっているので、チャーリー・パーカーやビートルズを知っている方はより楽しめる作品となっています。

目次

チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ

登場人物

・僕…「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」という架空のレコードを作り出した男。

・チャーリー・パーカー…バードとしても呼ばれたサックス奏者。1955年に亡くなった。

ある雑誌の投稿

1963年、人々はバード=チャーリー・パーカーの名前を耳にしてから長い年月が経っていました。

人々が知っているバードの最後の消息はパトロンであるニカ伯爵夫人に引き取られ、闘病生活をしているというものでした。

彼は1955年以降姿を消していましたが、その八年後の1963年の夏にアルバムを発表します。そのタイトルは「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」です。

以上の文は僕が大学生の時に書いた文章の冒頭で、僕が初めて原稿料というものをもらった作品でした。

実際に、このようなレコードは存在せず、チャーリー・パーカーは1955年に亡くなっていました。

この文章はもし彼が生きていて、ボサノヴァを演奏していたらという想定で僕はこれを書いたのです。

この文章を採用してくれた編集長はこれを現実に存在するレコードだと思い込み、雑誌に掲載してくれました。

この雑誌の反響は大きく、大体のものがチャーリー・パーカーを信仰するファンによる抗議の手紙でした。編集長は一応僕に苦言を呈しますが、反響があったことに関しては嬉しそうでした。

しかしその号で、その雑誌は廃刊になってしまいました。掲載された文章は次のように続きます。

アルトサックスはチャーリー・パーカーで、ギターやベースなど当時有名な人たちばかりでした。

パーカーが新たにボサノヴァのリズムを取り入れて、新たなスタイルで演奏された曲がそのアルバムには入っています。

しかし、すっかりバップ音楽に染まってしまったアルトサックス奏者のスタイルが南米からやってきたボサノヴァとうまく調和するかどうか疑わしいと思う人もいるかもしれません。

加えて8年のブランクにより彼の演奏技術が衰えてしまっているのではないかと僕は思っていましたが、聞いた後にはぜひ進んで耳を傾けてみるべきだと自信を持って言えます。

あなたの心の砂丘に傷跡を残していくことだろうという文でその文章は終わっていました。

ニューヨークのレコード店

僕はこのような文章を書いたことなどすっかり忘れていました。おおよそ15年後、僕がニューヨークで仕事をしているとき、時間をつぶすため僕は小さな中古レコード店に入ります。

そこでなんと「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」というレコードを見つけます。そのレコードには絵も写真もなく、タイトルだけが印刷されていました。

さらには曲目も演奏者の名前も僕が適当にでっちあげたものとまったく同じでした。僕はしばらくそこに立ち尽くし、夢ではないかと疑います。

僕はレジまで行って、紙の長い若い店員にこのレコードを試聴できるかどうか尋ねます。しかし店のレコードが壊れていて試聴できないと断られました。

レコードには35ドルの値がついていて、決して安くはない値段だったため、誰かのくだらない冗談だと思い店を出ました。

その後僕はスペイン料理屋でビールと夕食を取り、近所を散歩していて突然後悔の念がうかびます。

人生の記念品としてそのレコードが欲しくなり、再びお店に戻りますが、既に閉まっていたのでした。

消えたレコード

翌日レコード店に再度訪れますが、レジには違う店員がいて、彼がこの店のオーナーのようでした。

チャーリー・パーカーのコーナーを探してみますが、あのレコードはなくほかのコーナーも探してみますが見当たりません。

レジに行って店員の男に「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」はないかと聞くが、もう1度聞き返されてしまいます。

僕はもう一度繰り返しますが、男はそんなレコードはどこにも存在しないと返されてしまいました。

僕は昨日この店でそのレコードを見たといいますが、オーナーはレコードの買い入れと値付けは私がすべてやっていて、そんなものを見たらいやでも覚えているといいます。

彼は最後にそんなもの手に入れたなら私にも聞かせてほしいといいました。

チャーリーの登場

それからずいぶん後に、僕はチャーリー・パーカーが登場する夢を見ます。

彼は僕が勝手に作ったボサノヴァの曲をアルトサックスのソロで演奏してくれました。1筋の光の中で彼は一人立っていて、スーツを着てネクタイを締めていました。

彼の手にしているサックスは汚れていて、折れたキーが粘着テープで止めてあります。僕は夢の中でいくら彼でもそんな楽器を使って演奏できるとは思えませんでした。

その時急にコーヒーのにおいがします。どうしてかわからないがその時僕はそれが夢であると気づきます。夢を見ながら夢だと確信したのです。

チャーリー・パーカーは慎重に音を一つずつ出し、演奏を始めました。音の流れというよりは瞬間的に光を照射されたように僕は感じます。

それを聞く前と聞いた後では、自分の体の仕組みが少しわかったような気になるような音楽でした。

チャーリーは僕に「私はまだ34歳なのに死んでしまった」といいます。僕はうまく反応できず、彼は加えて34歳で死ぬことがどういうことなのか少し考えてみてほしいと付け加えます。

僕は頭の中で僕自身の34歳のころのことを思い出します。当時僕はまだ新しいことを始めたばかりでした。彼は自分もいろいろ始めたばかりだったといいます。

死はいつでも唐突なもので、一瞬でかつ永遠に至るほど長いものであるといいました。彼は死んだときベートーヴェンのある一節が浮かんだといいます。

彼は自分の曲ではなく、ベートーヴェンの曲が頭に浮かんでいたことにしゃがれた笑い声をあげます。

だから彼は僕に感謝しているといいます。僕が彼にボサノヴァ音楽を演奏してくれたのだとお礼を言いました。

僕はお礼を言うためにここに現れたのですかと尋ねると、彼はそうだと答えました。その後チャーリーは消えていきました。

結末

夢から覚めた時、水を飲んでバードが僕のために歌ってくれた曲を思い出そうとします。

しかし一節すらも思い出せず、彼が口にした言葉をボールペンでノートに書き写します。これが僕にできる最大限の彼に対する感謝の気持ちでした。

これは僕の身に実際に起きたことなのでした。

ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles

登場人物

・僕…主人公で、ジャズやクラシック好き。

・さよこ…僕が付き合ったはじめての彼女。

・お兄さん…サヨコの兄。時々記憶が飛んでしまう病気を持つ。

廊下の少女

僕は年を取って自分と同年代であった人々が老人になってしまっていることを奇妙に思います。

逆に自分自身が年を取ったことに関しては悲しくありません。特に僕の周りにいた美しく元気な女の子たちが孫がいるような年齢になっていることに不思議な気持ちになり、悲しい気持ちになります。

僕は名前の知らない1人の女の子のことを今でもよく覚えていました。その女の子は同じ高校に通っていて、同じ年齢で、ビートルズの音楽を好きであるということ以外何も知りませんでした。

1964年ビートルズが日本で大流行していた時、学校の廊下を彼女は速足で歩いていました。

彼女は「ウィズ・ザ・ビートルズ」という1枚のレコードを大事そうに抱えていて、そのレコードはビートルズの4人が印刷された英国のオリジナル版でした。

僕は廊下ですれ違ったとき強く心を惹かれます。心臓が素早く脈打ち、耳の奥で小さく鳴っている鈴の音が聞こえます。

僕が彼女を見たのはその時だけで、高校を卒業するまでの間彼女を見かけることはありませんでした。1学年650人と多かったにしても、一度もすれ違わないのはおかしいと僕は思います。

彼女は消えてしまったのか、それとも夢を見ていたのかといろいろな考察をします。

それ以降何人かの女性と知り合い付き合いもしたが、ある時には鈴がなり、ある時にはならないまま別れたこともありました。僕は鈴の音を水準器として利用していました。

ビートルズ

ビートルズが人気になったのは、僕が彼女を廊下で見た前の年のことでした。

1964年の4月には、全米ヒットチャートの1位から5位をビートルズが独占し、それは前代未聞の出来事でした。日本でもビートルズは人気で、ラジオを付ければいつでも彼らの曲が流れていました。

しかし、僕はビートルズの曲を自分から聞くことはなく、ファンでもありませんでした。

高校も大学時代も自分からビートルズのレコードを購入したことはなく、ジャズやクラシックのほうに興味がありました。

小遣いをためてはジャズのレコードを買い、ジャズ喫茶やクラシックのコンサートにもいっていました。

僕が初めてしっかり「ウィズ・ザ・ビートルズ」のレコードを聴いたのは30代の半ばになったころでした。

僕は廊下を歩いていた彼女には興味がありましたが、抱いていたレコードのほうには興味をそそられませんでした。

僕はそのレコードを聴いて、特に出来のいいレコードだとは思えませんでした。むしろ即席で作られた前作の「プリーズプリーズミー」のほうが良いとまで思ったのです。

おそらく大衆がビートルズの音楽を求めていたことと、ジャケットがおしゃれであったことで「ウィズ・ザ・ビートルズ」は英国のヒットチャートの1位になり、それを21週間守り続けたのだと僕は考えました。

担任の先生

その翌年、僕にガールフレンドができます。それからふとしたきっかけで付き合うようになりました。

僕は特にイケメンでも頭もよいわけでもありませんでしたが、学校のクラスでいえば1人くらいは自分に興味を持ってくれる人がいたといいます。

付き合ったのは彼女が初めてでした。彼女もビートルズの音楽をあまり聞かず、パーシー・フェイス楽団のような中産階級的な音楽を好んでいました。

彼女の家にはそういったレコードが多く置いてあり、彼女はよくレコードをかけてくれました。

ある日の午後、彼女の家には家族がおらず僕と彼女はソファの上でキスをします。

僕の1965年の夏の記憶は白いワンピースと、彼女のシャンプーのにおいとワイヤー付きのブラジャー、そしてパーシーフェイス楽団の「夏の日の恋」でした。

当時僕と彼女が同じクラスで、その担任だった社会科の先生は数年後首を吊って自殺しました。理由は思想の詰まりだったといいます。

僕は僕らが抱き合っていた間も、社会科教師が自殺へとむけて一歩ずつ歩みを進めていたと考えると申し訳ないという気持ちを抱いてしまいます。

社会科教師はクラスの生徒たちに公正な人でした。

彼女の妹

いつも聞いていたラジオ放送局の近くに彼女の家はあり、彼女の父親は医療機器の輸出か輸入をしている経営者でした。

その会社はかなり繁盛していて、海岸の近くの松林の中にある別荘を買い取って、改築したのが彼女の家でした。

その家は「夏の日の恋」を聞くには最適な環境でした。その曲は「避暑地の出来事」というアメリカ映画のテーマ曲で、僕はこの曲が高まる性欲のメタファーのように感じました。

映画の内容は青春恋愛映画で、いくつかの障害を乗り越え2人が結ばれるという映画でした。当時のハリウッド映画は最終的に結婚することで合法的に性交できる環境を作り上げることがゴールでした。

しかし、僕と彼女はソファの上で不器用に抱き合うだけでした。彼女は僕に自分がすごく嫉妬深いということを伝えます。当時の僕にはよくわからず自分の気持ちのことで精一杯でした。

彼女には兄と中二の妹がいて、妹はそれほど外見が良くありませんでした。彼女は妹のことをかなりかわいがっていて、3人で映画を見に行ったことがありました。

妹は僕に対してあまりよく思っていないようで、冷蔵庫の中の腐りかけた魚の干物を見るような目で見てきます。その目つきは僕をなんだかやましい気持ちにさせるものでした。

彼女の兄は彼女より4歳年上で、はじめて僕がお兄さんと会った時には20歳を超えていました。彼女は兄を紹介もしなかったし、兄の話になるとなぜか話題をそらします。

1965年の秋の終わりに僕は彼女のお兄さんと初めて会います。

その日は日曜日で、僕らはいつも一緒に図書館で勉強するという名目でデートをしていました。

その日いくら玄関のチャイムを鳴らしても返事はなく、しばらくすると中から彼女のお兄さんが出てきました。

彼女のお兄さん

彼女の兄は僕よりも身長が高く、運動選手が仕方なく脂肪を付けたような体形をしていました。彼の髪の毛は乱れていて髪も伸び切っています。

いつも清潔な格好をしている彼女とは正反対のように見えます。お兄さんはサヨコの友達だよなと聞き、僕は11時にここに伺うことになっていたと説明します。

しかしお兄さんは彼女が今家にいないといいます。お兄さんも僕もどうすればいいのか少し戸惑った後、お兄さんが家には今自分しかいないといいます。

お兄さんは上がって待つといいといい、僕は遠慮しますがまたチャイムを鳴らされる方が迷惑だと返し、僕は家の中のソファに腰を下ろします。

お兄さんはサヨコと付き合っていて楽しいかと僕に尋ねてきます。僕は楽しいといいますが、お兄さんは面白くはない?と聞きます。

コーヒーやトーストはいるかと聞かれますが、僕は彼女のいないところで、彼女の家族とかかわりを持つのが嫌で遠慮しました。

お兄さんは台所へ行き、朝食を取っているようです。時計は11時15分を指していました。

僕はもう一度約束の時間と場所を思い出しますが、昨日電話で約束した日時に間違いはありませんでした。さらに、彼女は約束を破ったり忘れたりするタイプではなく、僕は不思議に思います。

加えて、日曜日の朝にお兄さんだけ家に残して家族全員がいないというのも不思議でした。奥の台所には時々物音が聞こえます。お兄さんは何をするにも音を立ててしまう性格のようでした。

音楽を聴きたいと僕は思いましたが、人の家のステレオをいじるわけにはいかず、カバンの中の本を探します。

いつも入れている文庫本が見当たらず、仕方なしに現代国語の教科書の副読本を読むことにしました。

芥川の朗読

適当なページを開き、そこに乗っている随筆や小説を読んでいると、そこにはいくつか設問が添えられていました。

その多くが「この文章はどのような象徴的効果を生んでいるのか」という意味のない設問でした。それに対して比較的理にかなった解答をこしらえていると、お兄さんが台所から戻ってきます。

彼のセーターにはパンくずがついていて、そういうところが僕のガールフレンドのサヨコの気に障るのだなと想像しました。僕はどちらかと言えばきれい好きでした。

その時時計の針は11時半を指していました。お兄さんから何の本を読んでいるのか聞かれ、副読本だと答えます。さらにどこを読んでいたか聞かれ、僕は芥川の歯車だと答えました。

芥川は35歳で毒を飲み亡くなっていて、歯車は亡くなった後に発表された作品でした。お兄さんは僕にその本を読んでみてほしいと頼みます。

誰かに本を読んでもらうのが好きなのだと付け加え、僕は神経症的なお話だと渋りますが、たまにはそういう話も聞いてみたいと朗読が始まるのを待っています。

僕は8ページほどの歯車の一部を読みます。最後の一行は「だれか僕の眠っているうちに絞め殺してくれるものはないか」でした。

お兄さんは余韻を味わうようにしばらく目をつぶっていました。時計を見ると12時を少し回っていました。

僕は母親から食事の時間によその家にお邪魔してはいけないと教えられていたので、ソファから立ち上がりかけます。

お兄さんはせっかく来たのだからあと30分待ってみたらどうかと引き留めます。そしてお兄さんは朗読が上手だと僕を誉めます。

記憶が飛ぶ病気

唐突に、君には記憶が途切れたことはあるかとお兄さんは僕に尋ねます。僕はないと答えると、お兄さんは自分には何度かあるといいました。

気づくとさっきまで午後3時だったのに、午後7時になっていることがあり、4時間分の記憶が飛んでしまうそう。

音楽であれば不便でも実害はないが、日常生活においてはかなり厄介なものだといいます。

年に一度か二度それは起こり、いつ起こるかわからず、もし記憶が途切れている間に誰かの頭を金槌で叩いたらどうしようと高校時代のお兄さんは真剣に悩んでいたといいます。

医者からは記憶が飛んでいたころの自分は自分としていつも通り生活しているためそんなことはないといいますが、その頃の自分にはそれでも心配でたまらなかったそう。

僕はたしかにそうかもしれないとうなずきます。そうしてお兄さんは学校へ行かなくなり、なんとか高校は卒業できたが、大学には進まず今でも家でゴロゴロして過ごしているといいます。

もう少し気持ちが落ち着いたらどこかの大学へ行くつもりだと付け加えました。それで僕はサヨコが僕にお兄さんの話をしたがらない理由がわかった気がしました。

お兄さんは12時半まで待って、誰も戻ってこなかったら勝手に1人で帰ってくれといい、もう一度僕にサヨコと付き合ってて面白いかと聞きます。

僕は彼女には僕の知らないところがたくさんあるから面白いと正直に答えました。お兄さんは自分もまだわからにところがあるといいました。

お兄さんは部屋を出ていきます。僕は12時半まで待ちましたが、誰も帰ってこなかったので、彼女の家を出ました。

お兄さんとの再会

2時過ぎに彼女から電話がかかってきて、約束したのは来週の日曜だったといわれます。僕は間違えたのだと思い、素直に謝りました。

僕は彼女にはお兄さんと2人で会話したことはあえて伏せておきました。それはなんとなく伏せておいた方が良いのだと直感的に思ったからでした。

再び彼女のお兄さんと会ったのはそれから18年くらい後のことでした。僕は35歳で妻と2人で東京で暮らしていました。

僕は修理に出した腕時計を受け取りに渋谷の坂道を上っていると、1人の男に声を掛けられます。口調は関西のもので振り返ってみても見覚えがありませんでした。

アスリートらしい体つきで、整った顔立ちでした。育ちもよさそうでした。声を掛けた男はたしか自分の妹のボーイフレンドではないかと僕に尋ねます。

僕はその時その男のセーターに小さなトマトソースの染みを見つけた瞬間、セーターにパンくずをこぼしていた眠そうな21歳の青年を思い出し、サヨコのお兄さんだと気づきます。

よく人混みの中で僕のことがわかりましたねというと、彼は一度あった人の顔をなぜか忘れないのだと説明してくれました。

僕はサヨコさんはどうしてますかと尋ねると、立ち話はなんだしどこかに座って話がしたいとお兄さんは言います。

サヨコのその後

近くのコーヒーショップに入ると、お兄さんはサヨコは3年前に亡くなったと話してくれました。僕はしばらく言葉を失いました。

僕が最後にサヨコに会ったのは、サヨコが20歳の時で、運転免許を取ったばかりの彼女の運転で六甲山の上までドライブをしたのでした。

その時の彼女はとても幸福そうに見えました。そんな彼女が死んだことが僕には想像できなかったのです。

お兄さんはサヨコが自殺したこと、26歳の時会社の同僚と結婚し、子供を2人産んだのちに自ら命を絶ったと僕に伝えます。その時はまだサヨコは32歳でした。

どうしてだと僕は尋ねますが、お兄さんにも理由がわからないといいます。悩んでいた様子もなく、健康的で夫婦仲も悪くなく、遺書なども残されていなかったそう。

医者からもらった睡眠薬をためていて、まとめて飲んで死んだので計画的な自殺でした。

僕は六甲山のホテルのカフェでの別れ話のことを思い出します。僕は東京の大学に進んでいて、そこで好きな人ができてしまい、それを彼女に伝えたのでした。

彼女は何も言わず速足でカフェを出ていってしまい、僕は1人でケーブルカーで六甲山を下りました。それがサヨコと最後に会った僕の記憶なのでした。

遅かれ早かれ別れることにはなっていたと僕は思いましたが、彼女は僕にとって最初のガールフレンドで、女性の体がどうなっているのか教えてくれたのも彼女でした。

しかし、僕の耳の奥にある鈴を鳴らしてくれることは一度もありませんでした。しかし、東京で出会った1人の女性はその鈴を鳴らしてくれたのでした。

結末

お兄さんはサヨコが自殺するなど1度も考えていなかったといいます。小さい頃からサヨコのことは気にせず、下のほうの妹とのほうがうまくいっていたそう。

彼はそれをとても後悔していて、自分の身勝手さや傲慢さに悔やんでいるのでした。僕は話題をそらすために、お兄さんに記憶が飛ぶ病気はどうなったのか尋ねます。

お兄さんは僕と会って話をした後くらいから記憶が飛ぶことがなくなったといいます。その後まずまずの大学へ行き、卒業後父親の事業を継いだそう。

彼から僕はそれからどうしているのか聞かれ、今はものを書いて生活していると答えます。お兄さんは朗読がうまかったしなと納得したようにうなずきます。

その後お兄さんは心の負担になるかもしれないが、サヨコは僕のことが一番好きだったのだと思うと言いました。僕は何も言わず、お兄さんも何も言いませんでした。

それから僕はお兄さんと会うことはありませんでした。2人は20年もの年月を間に挟み2度会ったきりでした。

その偶然も、副読本の設問のように意味はないのかもしれないと僕は思いました。

感想

以上となります!少し2つめのお話は長くなってしまったかもしれません。

「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」では、自分の作った架空のレコードを見つけたり、夢の中でチャーリーが現れたり少し不思議なお話でした。

「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」は僕の初恋の相手が自殺してしまうという悲しい結末となっています。

短編の途中にも社会科教師が自殺していたり、芥川の歯車のようにサヨコの自殺に向けて物語が進んでいたように感じました。

後4つのお話も近日中に公開予定です。是非SNSフォローしてお待ちください!

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