阿弥陀堂だより(あみだどうだより) -著:南木佳士(なぎ けいし)- ネタバレ感想前編
2022/03/07
カテゴリー:小説
概要
このページでは、南木佳士さんの「阿弥陀堂だより」のネタバレ感想をしております。
この作品は映画化もされており、課題図書にも多く採用されている作品となっています!
東京で暮らしていたエリート医師の妻と小説家の夫が、妻のパニック障害から田舎に帰郷し、阿弥陀堂に住むおうめ婆さんと交流する物語となっています。
生について考えさせられる作品で、おうめ婆さんの言葉がとても響いてくる良い作品でした。
このページは前編となってますので、続きが気になる方はぜひ後編もご覧ください!!
目次
ストーリー
登場人物
・上田孝夫…中学に谷中村を出て、43歳になって帰郷した。
・神谷美智子…谷中村の診療所の内科医。孝夫の妻。
・おうめ婆さん…今年96歳になる阿弥陀堂の堂守。
・上田せい…孝夫の祖母。
・田辺さん…孝夫の実家の隣の家の住人。
・孝夫の父親…孝夫を谷中村に残して東京へでた。のちに孝夫を呼び寄せる。
おうめ婆さん
山の中腹にある阿弥陀堂からは合わせて23戸の小さな六川集落(ろくかわしゅうらく)の全景が見えます。
上田孝夫と妻の美智子は昨日あいさつ回りをして、今日阿弥陀堂に住む堂守のおうめ婆さんに挨拶をしに来たのでした。
後ろから腰の曲がった老婆が声を掛けます。孝夫は自分が上田せいの孫の孝夫だと名乗り、この度帰ってきたと自己紹介しました。
今年43歳になる孝夫が小学生の時から、おうめ婆さんは堂守をしていて、今年96歳になると言います。
おうめ婆さんは美智子が今度から村の診療所の内科医になることを知っていました。美智子は自分が病気をして、週3の午前中だけ勤めると訳ありげに深呼吸します。
小学生時代
孝夫が谷中村を出たのは中学に上がる春のことでした。母親を3歳で亡くし、父親は農業に飽きて家を出ていってしまって、孝夫は祖母に育てられます。
小学生の間、孝夫は農業の肉体労働に明け暮れますが、祖母はちゃんと学校には通わせてくれました。孝夫は学校が好きで、勉強ができました。
孝夫の家の貧困は群を抜いていて、阿弥陀堂守のおうめ婆さんと並ぶくらいでした。
谷中村の7つの集落にはそれぞれ阿弥陀堂と堂守がいて、たいてい身寄りのない老婆が堂守にあてられていました。
堂守は阿弥陀堂の管理をして、その見返りとして村の人たちが阿弥陀堂に米や味噌を届けるという仕組みになっていました。
ある時、3年間連絡がつかなかった父親から連絡がきて、中学からは東京へ来ないかと誘われます。
祖母に話をしてみると、嘘っぽい涙を流しながら、孝夫を説得しますが、最終的に好きにすると良いと許してくれました。
東京暮らし
父親はまだ畑が点在する新興住宅地に女と住んでいて、入籍していました。
孝夫は中学でサッカー部に入り、勉強も運動もできて学区一番の都立の進学校へと高校は進みました。
春夏冬の長期休みは必ず谷中村に帰っていて、一番長く滞在したのは高校3年の秋でした。そのころ、学園紛争が起こり、授業は中止となっていました。
クラス討論
孝夫はクラス討論についていけず、そっと抜け出して帰っていると、同じクラスの神谷美智子から声を掛けられます。
彼女もクラス討論に疑問を抱いて討論を抜け出していて、仲間かもしれないと思って声を掛けたそう。
2人は打ち解けあい、将来のことについて話し合います。
孝夫は大学を出たらきちんとした職に就き、家を建てて祖母を呼び寄せたいと思っていました。
そのためには法学部や経済学部に行くべきでしたが、文学部にあこがれをいだいていました。
美智子は国立大の医学部に入りたいのだといいます。美智子は明日からどうするのか孝夫に尋ね、孝夫は田舎に帰って山仕事でも手伝うつもりだと笑いかけます。
美智子は受験勉強を頑張るといって、2人は駅のホームで分かれます。別れ際、美智子は信州から手紙を送ってほしいといい、孝夫は了承しました。
美智子からの手紙
帰省した孝夫は、夜に美智子へと手紙を書き始めます。
手紙を書いてポストに入れた後、自分の手紙の内容のなさに反省します。金曜日、昼間で寝ているつもりだった孝夫を郵便配達員が起こします。
手紙は美智子からでした。手紙を読んで好かれちゃったかなと小さく声を出し、頬を熱くします。
本格的な雪が降り、そろそろ東京に帰らなければと孝夫は思います。しかし、授業がない中家にいると、父の再婚相手と顔を合わせるのが気まずいのでした。
そのため、しばらく祖母の家に居続けることにしました。12月になって美智子からの8通目の手紙に、授業の再開の予定が書かれていて帰ることにします。
僕は美智子と会いたいという気持ちと退屈な日常に埋もれてしまう怖さを抱えます。祖母の家を出て東京へ帰り、学校で美智子と会った時互いに言葉が出ませんでした。
2人は意識すればするほど無関心を装います。
大学時代・社会人
翌年の大学受験で、美智子は国立大学の医学部に合格し、孝夫も東京の私立文学部に合格しました。2人は文通を再開し、喧嘩したり仲直りしたりして大学時代を過ごします。
孝夫はアルバイトに明け暮れ、谷中村に帰らなくなります。孝夫は大学の近くにアパートを借り、そこへ美智子が泊まるようになりました。
卒業後、孝夫は雑誌編集者に勤め、美智子は医学部実習で忙しくなりますが、結婚を約束するようになります。
3年後、美智子が都立病院の研修医になり、2人は結婚します。都内のマンションを借りて、孝夫が定時に帰って食事を用意し、休日には洗濯もしました。
美智子は病院に泊まることも多く、1人の夜に孝夫は小説を書き始めます。半年後小説をかき上げ応募しますが、最終選考で落選してしまいます。
ただ、編集部からは光るものがあるから、今度は直接編集部に送るようにと言われ、孝夫は元気を取り戻します。
新人賞
その2年後、孝夫は新人賞を受賞しますが、その間に孝夫の父は亡くなってしまいます。
新人賞の受賞で、記念の時計と10万円を受け取ります。その夜、孝夫は美智子に作家になってもいいかと尋ねます。
美智子は私が稼ぐから大丈夫とほほ笑んでくれました。2人とも30歳になっていました。
勤めを辞めてから家事は孝夫が担当し、空いている時間で執筆しますが、書くことがありませんでした。
新人賞から1年がたち、その間得た収益は8千円のみでした。
孝夫はその後も2年に1本作品を書き、年収は20万前後でした。美智子は数多くの論文を残し、多忙を極めていました。
夫婦間の会話も体の行為も少なく、子供ができませんでした。接点は少なくなっていても、年に1回の旅行は欠かしたことがなく、谷中村に帰省していました。
美智子は初めて来た日から谷中村を好きになり、80近い祖母ともすぐに打ち解けました。美智子は慢性的な睡眠不足でひたすら昼寝をしていました。
祖母の死
ある晩秋の朝、谷中村の祖母の家のおとなりの田辺さんから電話がかかってきます。それは祖母の死を知らせる電話でした。
美智子が仕事を終えるのを待って、2人は谷中村に帰り、美智子が死亡診断書を書きました。葬儀を済ませて、2か月もすると、2人は元の生活ペースを取り戻します。
翌年の春、美智子の妊娠が発覚します。美智子はお祖母ちゃんが授けてくれたんだと手放しで喜び、ベビー用品を買い込みます。
そんなある朝、体の芯からお腹が冷えていて、急いで病院に行くと子宮内胎児死亡と診断されます。
美智子は心を病み、睡眠薬がないと眠れなくなってしまいます。食欲も落ち、頬がこけてきて、2週間後美智子は地下鉄の入り口でうずくまっていました。
恐慌性障害
診断によると、遺伝的体質などにストレスが加わって精神症状が発生する恐慌性障害だといいます。人によっては治療に数年かかるんだそう。
美智子は1か月の自宅療養を命じられますが、落ちこぼれることへのあせりがより彼女の症状を悪化させるのでした。
病院側の計らいで、勤務日数を減らしてスケジュールを組んでくれて、孝夫は美智子と付き添って病院へ行き、時間をつぶして、昼美智子を連れてマンションに帰るという日々を過ごしていました。
東京脱出
発病して2年後、美智子は内科の外来診察から外され、研修医でもできる仕事だけを任されて、より人間不信になっていきます。
発病3年目に美智子は発病に原因が東京の環境自体にあることに気づき、東京を脱出したいと考えるようになります。
以前役場に勤める孝夫の同級生が谷中村に医者がいないということを話していて、そのことを思い出した美智子は役場に電話を掛けさせ、谷中村の診療所に就職することになりました。
都立病院を辞めてから、美智子の症状は少しマシになっているようでした。美智子は39歳で発病し、この冬で42歳になっていました。
まとめ感想
孝夫と美智子は結婚し、小説家と医師の道をそれぞれ進みますが、孝夫のほうがうまくいきません。
しかし、美智子がパニック障害になり、谷中村の診療所に勤めることになりました。
前編は高戸と美智子が谷中村へ帰ってきた経緯になります。美智子の心の傷は深く、落ちこぼれることへの恐怖からより病んでいく様子が悲しいですね。
後編では、谷中村での2人の生活が描かれています。おうめ婆さんやそのほかの村人の交流もあり、とても心が温まるので是非後編もご覧ください!!下のリンクから飛べます。
他にも小説ネタバレしてるので、そちらもご覧ください。SNSのフォローもお願いします。